・教来石民部館(山梨県北杜市) 【歴史概略】一条氏から派生した在地の武士団武川衆の一員である教来石氏の居館跡であることが発掘調査によって明らかとなった。 教来石氏は武田氏に従い、教来石民部は武田氏の重臣として抜擢されて馬場美濃守信春を名乗った。信春は武田軍団の一翼を担った勇将であり、その築城の才覚で数々の城館の縄張りを実施した。 【攻城記】 信州へ向かう途中、ETC通勤割引の恩恵を受けるために韮崎ICでおり、近くに教来石民部館があるのを思い出したので立ち寄ってみる。場所を良く覚えていなかったが、白州周辺を車で流しているとビューファーム鳥原平なる案内を見つける。この施設の反対側に夏草に覆われたあづまやが建っており、その周辺一帯が館跡となっている。しかし、人が滅多に訪れないようで、草が伸び放題という惨状であり、短パンのソレガシはアザミによる引っ掻き傷で負傷する(失笑)。ちなみに、近くの自元寺(白州小学校裏手)には馬場信春の墓が存在する。 ・笹尾塁(山梨県北杜市) 【歴史概略】笹尾塁の歴史は詳らかではないが、享禄年間(1528年〜1532年)に諏訪勢の甲斐への侵入を防ぐために武田信虎によって創築され、諏訪下社の浪人衆を置いたと伝わる。 【攻城記】 現在は城山公園として整備されており、駐車場も完備されている。台地続きの北側からはその堅固さがわからないが、その他三方は断崖絶壁になっており、すこぶる見晴らしが良い。遺構としては土塁や堀切が良く残っている。 ・有賀城(長野県諏訪市) 【歴史概略】有賀城の創建は詳らかではないが、諏訪氏の一族である有賀氏が代々居城としたと伝わる。 天文十一年(1542年)、武田晴信(信玄)が諏訪郡に侵攻すると、有賀備前守昌武は武田氏に味方したが、天文十七年(1548年)七月十日、小笠原長時に呼応して武田に叛乱を起こして鎮圧され、追放された。武田氏は有賀城に原美濃守虎胤を置き、さらに天文十八年(1549年)には千野靭負尉に与えられ、千野氏が居城とした。 【攻城記】 茅野市街から諏訪湖の西側を抜ける道路に豊田有賀交差点があり、ここを山側に折れると江音寺というお寺が見えてくる。この寺院に城主千野氏の墓所があり、墓地の裏手から登城路があるが、今回は江音寺の更に先にある左手の登城路から進撃。10分程で大きな竪堀にたどり着き、その先に主郭がある。主郭からは諏訪湖を望むビュースポットで、秋風に当たりながらこの景色を眺めていると心が癒されてくる。遺構の残存具合も素晴らしく、道も良く整備されているので、おススメの城址である。 ■関連リンク →甲信越地方の城(Hatabo's Homepage) |
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